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​日本の古典舞踊

日本の古典的な舞踊について。

Wikipedia等を参照の上、主だったものを簡単にまとめて記載します。

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古代宮中祭祀において、特定の氏の中から選ばれた人が、演舞や前行を行なった。日本神話においてアメノウズメが天岩戸を開けるために神がかり的な舞踊を行ったという話あるが、上記の演舞はそこに起源があるとされた。このアメノウズメの話が、史料に残る舞踊の初出となる。

​雅楽

大陸に起源を持つ音楽や舞に、古来から伝わる音楽や舞が融合して日本化した芸術。

平安時代に国風化が進んだが、雅楽寮が設置され保護が始まったのは奈良時代まで遡る。

元は儀礼の場で行われていたが、徐々に儀式や法要と関係のない私的な演奏会が催されるようになり、儀式芸能としての雅楽とは性格を異にする宮廷音楽としての雅楽が発展していった。この流れの中で、催馬楽や朗詠、今様が成立していった。

また雅楽の中で唯一女性が演じるものに五節の舞がある。新嘗祭や大嘗祭の折に、大歌に合わせて4~5人で舞う。

​踏歌

踏歌は飛鳥時代の末と思われる時期に渡来系の人によってもたらされた集団的舞踏。

多数の人が足で地面を踏みならし、列を作り行進して歌い躍るもので、それよりも古来からあった歌垣と共に行われる事が多かった。

奈良時代、朝廷内でも饗応の場で披露される事があったが男女混合で夜間に行われるため禁止された時期もある。その後体裁を整え正式に朝儀にも加えられると、8世紀には天皇出御のもと、踏歌節会が行われるようになった。これは男女別々に行われる。

踏歌節会は断絶と復興の時期を経て明治時代初期まで続いた。

民間では寺社において行われている。

​神楽

神社やまれに仏教寺院でも執り行われた、歌舞音曲で、平安時代に様式が完成されたと言われる。

「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされる。

神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流したりするなど神人一体の宴の場で、宮中の御神楽(みかぐら)と、民間の里神楽(さとかぐら)に分けられる。

御神楽は雅楽に含まれる。

里神楽は地域・時代によって様々ではあるが、現在、巫女神楽・採物神楽・湯立神楽・獅子神楽に分類されている。

​田楽

田植えの前に豊作を祈る田遊びから発展し、平安時代に成立した音楽と踊りから成る民間芸能。

時代ごとに変容しながら、鎌倉時代には田楽に演劇的な要素が加わって田楽能と称されるようになった。

​白拍子

平安時代末期に成立。

主に水干等を身に着けた男装の女性(子供や男性が稀にいた)が、朗詠や今様を伴いながら舞った。遡ると巫女舞に起源があるとも言われ、巫女が舞を舞う事によって神を憑依させた際に、場合によっては一時的な異性への変身作用があると信じられていたとも言われる。

成立当時は烏帽子と太刀を身に着け【男舞】と言われたが、やがて烏帽子と太刀が除かれ白拍子と言われるようになったとの記載が平家物語の祇王の章に見られる。

また白拍子の語源は素拍子との説もある。

​時代と共に装束にも変化があったと考えるのが無難で、烏帽子が除かれたとされた後は水干に色物が使われる事もあったと言われている。

また白拍子には、遊女の側面があった。

​曲舞

成立時期は不明ながら南北朝・室町時代に流行り、白拍子に源流を求める意見も多い。

曲舞は、ストーリーをともなう物語に韻律を付して、節と伴奏をともなう歌舞であり、稚児は水干男性は直垂を身に着けた。

曲舞の流派の中の幸若舞が、今に伝わる隆盛を誇る。信長が舞ったとされる「人間五十年~」で知られる『敦盛』も幸若舞である。

散楽ー猿楽ー能楽

散楽は大陸西域の諸芸能が起源とされ、遅くても奈良時代には日本に伝わった。

物まねや曲芸が主流で一時は朝廷で保護された。平安時代保護が外れると、寺社や街頭などで以前より自由に演じられ、庶民の目に触れるようになっていった。

その結果、都で散楽を見た地方出身者らによって、日本各地に広まっていった。物真似などの滑稽芸を中心に寸劇へ発展していったものが猿楽である。

鎌倉時代中後期に、元は呪師が行っていた五穀豊穣を祈願する『翁舞』を、呪師に代わって猿楽者が演じるようになった。その結果神社と強く結びつき座を形成しながら発展した。

そして観阿弥・世阿弥を中心にした猿楽師達が舞と謡等を用いた物語を演じる芸能として進化させた。これが後に能楽と言われ現在に至る。

かぶき踊りー歌舞伎ー日本舞踊

安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、元巫女であった出雲阿国が座を組み、かぶき踊りで各地を巡業した。大きな人気を博し、出演者と観客が入り乱れ熱狂的に踊ったと言う。それを遊女が持ち芸にして大人気になったため、取り締まりが行われた。

その後男性による歌舞伎が始まり現在に至る。

歌舞伎の中の歌舞伎舞を源流にした日本舞踊が成立し、現在に至る。

​土地の踊り

土地の民衆の中で多くは自然発生的に生まれた(民謡)に合わせた踊りを、それぞれの祭りやお盆の時に皆で踊る様子が今に至るまで各地で見られる。

​特定の地域にとどまらず、全国的に踊られるものもある。​​​

​ざっと調べた事を書き並べた為、不正確・間違い等ありましたらご容赦ください。

古くは神事と結びついた中で舞踊は成立し、朝廷において保護される場合もありました。

それが時代と共に庶民に広く広がった要因のひとつに、中世に確認される声聞師の存在があるとのではないかと、わたしは考えます。

呪術的雑芸能を行ったり、盆、彼岸なとに家を訪れて経を誦しあるいは摺仏を配る者達で、元は民間陰陽師だったのではないかといった意見もあります。

室町時代に活発化した声聞師は座を興し、多くの民間芸能者はこの座の配下に入りました。その上で声聞師は巡業の手配をし、報酬を得ていたようです。

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※本来日本語において舞と踊りには区別がある。

舞は個人的・芸術的な要素を古くから強くもっていたのに対し、踊りは集団的形態をとり、むしろ生活的な要素を強くもつものだった。ダンスの和訳が舞踊になり、今は区別が曖昧である。

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