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川のほとりにたたずむ者は・完結編

  • 執筆者の写真: midoriandhana
    midoriandhana
  • 5月1日
  • 読了時間: 7分

更新日:5 日前



 時は室町幕府三代将軍義満の頃。

 徐々に麗らかになりゆく時を、匂い立つ梅花が愛でる。


「あの面立ち …… どっかで」


 神楽舞を見物していた、年の頃三十半ば程度と見られるみつと言う女が、見物客に交じる顔を見て呟いた。


「あれに気を止めるでない」


 すぐ側で男が低い声を出した。


 白髪であり老いてはいるものの、物言いやその姿形から、みつは遠い記憶が徐々に蘇るのを感じた。


「あん時の …… まさかあん時の山伏 …… 」


 男はみつを促し、人に声の届かない場所へ移動した。


「さよう、わしはあの折の山伏。あの男 …… あれは葵だ」


 一瞬の間があく。


「そんな …… まさか!…… 葵 …… まことに男じゃったと……」みつは驚きの声をあげた。


「そう言ったはず」


 今更といったふうの山伏は話を続けた。


「一緒に居るのはきぬと言って、奥方じゃ。葵は今、惣治と名乗り、大掛かりなものは少ないが、土地の者や小さな寺の依頼を受けて仏を彫る、大層な言い方をすれば俗人仏師として生きておる。義理の父のその先代は、どこぞの宗派の弟子筋だったようで、縁は細いものの父同様、惣治も宗派から筋や仏師を名乗る事を黙認されておる。無論暮らしのために、仏以外の彫り物や大工らしき事など様々やっておるようじゃし野良仕事もやっておる」


「あの葵が……」みつにはそれ以上の言葉が見つからなかった。


 歌人から三日月の如くと詠まれた葵の舞姿をぼんやり思い出したのか、呆けた体ていのみつに向かい、山伏は風の便りによるとと断った上で、村を離れてからの葵について更に話し始めた。




 みつが目をやり、山伏が仏師の夫妻だと言ったふたりは、仕上がった仏像を届ける旅の途中であった。


「村じゃお目にかかれんし、京の都への道すがら、神楽舞を見物できるなんて思わなんだ」と、妻が喜ぶと、夫は妻の背にそっと手をやり呟いた。


「今回は縁深い上に一尺程度の小ぶりの木像ゆえ、自らの手で届けとうなって思い切ったんじゃが、折角きぬと出て来られたんじゃ、嵯峨野へ仏像を届けたら、子らへの土産を買いながら二人で都を見て回ろう」


「もう何べんも言ったけどあれから十年。小っさな村の仏師じゃと言っても、たった十年でおめさまの事が都に届いたんじゃもの嬉しいわ。ご依頼くださった尼様にお会いすんのも楽しみじゃし …… どんなお方かのぅ」


「都やらの仏師を思えばそう名乗るのは憚はばかられもするが、何かの折に尼さんの耳に届いたんじゃろ。去年までお公家の側女そばめじゃったと聞くがそれ以上は何も」


 そんな話をしていたが、ふたりは続いて始まった巫女神楽に目を向けた。

 鈴、扇、榊や笹など、依り代よりしろとなる採物とりものを持った巫女達が舞う姿を見ながら、夫の惣治は「ん?」と顔をしかめた。


「どうなさった?」と、妻が尋ねる。


「あ、いや…… よう揃っとるが、取ってつけたように儀礼的じゃ思うて」


「あら、だって儀礼じゃもの …… でも、おめさま、舞にお詳しい方やったのかも」と、妻が笑う。


「まさか。元は船頭じゃぞ …… さ、そろそろ行こか」そう笑い返して、惣治と名乗る仏師は妻を促した。



「なら葵は名前も何も覚えてないと言うのか?」みつは山伏に詰め寄った。


「むろん村を出た時点で名を変えていただろうが、そのようだ。それでも妻を娶り、ああして上手くやっておる。それゆえ放っておいてやれ」


 そう言われてみつは一度二人連れに目をやり、立ち去ろうとする二人を見て迷う様子を見せたが、再び山伏に向き直った。


「それで桔梗は?桔梗は生きておるのか?知っとるのじゃろ?」


 みつに問われ、山伏は都での桔梗のその後について語った。


 桔梗のあの気性ゆえ、田舎者だと悟られぬだけの所作や物言いをすぐに身に着けた。本来の白拍子は廃れ気味だったが村にいる頃からそこに様々手を加えた舞でもあったがゆえ、桔梗は都で引っ張りだこになった。母の京はそれだけのものを葵と桔梗に教え込んでいたのだと、山伏は言った。


「都に出て十数年経った頃、公家と、とある少年の前で舞を披露した。魂を燃やすような見事な舞だったようだ。ただそれを最後に自ら舞う事を止めてしまったのだ。まるで憑き物が落ちたかのように ……」そう言うと、山伏はふっと穏やかな表情になった。


「それを最後に自ら? …… じゃと!」みつは声を荒げ、気色ばんで山伏に詰め寄った。


「葵が男であったとしても、見入りよう舞うために葵を残し、村を捨てて都へ行ったはずじゃ!…… とうが立とうがどうじゃろうが朽ちるまで舞一筋や無かったのか?…… 熱だの覚悟だのと、わたしを見下すように言っておったじゃないか!」


「見下したわけではない」そう山伏は言ったがみつは納得せずに「いや、馬鹿にしおった」と、やり返した。


「憐みと蔑みは紙一重。人は下がある事で自らを慰めるもの。同じ『人』でありながら村にあってはあの親子、どのような目で見られておったか知らぬでもあるまい。京もそうであったが、流れ者の事は理解できぬであろうと思ったまで」と、山伏に制されみつは黙った。


── 違う人間は触らずにおけ ──


 みつは己を含めた村人の視線を思い出した。


「魂を燃やし尽くして、後を生きる者に伝えたと言う事だ。それは恐らく桔梗の宿命だったのだ」力を込めてそう言った山伏は、更に続けた。


「不思議な事にうっすらとあったあざも徐々に消えて、その後は何年も桔梗を寵愛しておった公家の、正式な側女として穏やかに暮らした。その良人おっとも去年亡くなり、四十しじゅう半ばにして髪を下ろし、仏門に入ったと聞く。簡素な住まいと多少の散財をしても、日頃慎ましく暮らせば生涯困らないだけのものを譲り受けたようじゃ。腕の立つ者と下働きも付けて貰っておる。不自由は無いじゃろうが、いずれにしろ既に俗世を離れた身じゃ」


 みつは驚きと疑念の表情を隠さなかった。


「桔梗が?あの桔梗が既に出家したじゃと?魂を燃やし尽くす宿命とはまた …… 風の便りにしちゃあ葵の事もえろうわかっとるし。…… 山伏、おまはん、ほんにただの山伏か?」


 みつのその問いには答えずに踵を返した山伏。その背中にみつは問うた。


「ひとつ聞かせて欲しい。わたしは百姓の家に生まれ、田畑を耕す事に、子供ん頃の手伝いまで数えりゃ三十年近くの歳月を使うた。その間に嫁に行き子を育てた。確かにうちんとこはそれなりの構えになっとるが、さほど贅沢ができるとは言えねぇ。やけど分相応 …… いや、分相応以上にええ人生やと思うとる。何もかんも知っとるようじゃが …… 山伏、桔梗は幸せじゃったのか?」


 一陣の風が吹く。


 みつの問いに、ひと言返して山伏は立ち去って行った。


「さあ、どうだろうか」





 後日、京の嵯峨野にて。


 雪解けで増しつつある水が穏やかに流れる川。その水面が春の日差しを受けて光を帯びる。


 この川は渡月橋を挟んで上流を大堰川、下流を桂川と呼ぶ。木立の間からその渡月橋が見える、少し小高くなった地で、仏像を届けた夫婦を見送るひとりの尼。


「寺でも無いのに大仰やとお思いでしょうが、此度は遠路遥々素晴らしい菩薩様をかたじけのうございました」と、尼が礼を言うと「…… 大仰などとそのような事は …… 失礼する今になって申しますと、実は般若菩薩像は、わたし共夫婦にも縁深いものなので直にお持ちした次第で」と、惣治が答える。


「…… それはまた …… 仏師様、奥方と今の暮らしを大切に …… 思い出せぬ事は葬りなされ。いずれにせよ先程の事は間違いのうわたくしの勘違い。人違いをした上に立ち入った話をさせてしもうた事、申し訳なく、堪忍してくださいませな」


 そう言って頭を下げた尼をじっと見つめ、何か言いたげな惣治。だがそれに気付くとすかさず「おふたりの道中、つつがなきよう念じております。どうぞお達者で」と、尼が半ば畳み掛けるように言葉を重ねると、夫妻は礼を述べて尼の元を後にした。


 立派な庵と言うか、小さな山荘と呼ぶか、そんな塩梅の尼の住まい。質素であっても小綺麗で、風流な趣きがある。そのすぐ横に立つ一本の花木。


 ふたりの後ろ姿を見つめる尼であったが、ふいにその唇が微かに動くと、右手を前に出し、あたかも追いすがるかのように一歩二歩と足を前へ踏み出した。が、聞こえてきた鳥のさえずりで我に返ったのか、尼は足を止めふと川のある方へ顔をやった。


『程なくふたりが渡るであろう渡月橋。その下にある水の流れ。大堰と桂、呼び名が違えど流れておれば川はただの川』


 遮る木々の向こうにある川を見つめ、そのまま佇む尼のその目の淵から溢れこぼれていたものを、淡く咲く山桜だけがひっそりと、見届けた。







ー春立つ空の若水は汲むとも汲むとも尽きもせじ尽きもせじー


(白拍子舞曲 水猿曲の一節)








 
 
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